活動日誌

日本平和大会㏌沖縄報告パート3

※オプションツアー前夜祭 
 8日から参加していた日本平和大会。京都平和委員会のオプションツアーの10日までの3日間で、帰った翌日11日が朝から地方議員研修会に参加し、午後は都市計画審議会が予定されていた。平和大会直前に、都計部会で質問分担を行い、私は、当局への聞き取りと大会前日に現地へバイクで出かけて実地を視察し、大会へ。大会参加中、ホテルに帰って夜は自主的交流会に参加せずに、8日の夜は、ホテルにこもって質問準備。9日の分科会は、午前中で終わり閉会集会と那覇市内日岩パレードは比較的早く終わったので、18時からの京都代表団交流会までに何とか質問原稿を仕上げることができ交流会へ。
 交流会のお店は、昔懐かしの雰囲気の、海人居酒屋一郎屋。水原弘・由美かおるのハイアース殺虫剤の看板などレトロな看板ポスターが。店の大画面のモニターには、昔懐かしい映像が流れていました。店長さんは京都から来られた方とのこと。
 ちょうど、この日が私の64歳の誕生日と言う事で皆さんに、乾杯で祝福していただき楽しく皆さんと交流させていただいた

※まずは、嘉手納基地へ  
 午前8時、貸し切りバスでホテルを出発。アジア最大の基地。羽田空港のなんと1.3倍。基地と隣接する嘉手納弾薬庫を合わせた面積は46.440平方キロ。三沢、横田、横須賀、岩国、佐瀬穂の主要基地の合計面積32.114平方キロを大きく上回る巨大基地。
 基地は、嘉手納町、沖縄市、北谷町の1市2町にまたがり、滑走路は3700m、幅91.1mと61mの2つの滑走路がある。嘉手納町の82.8%を占めている。私の住んでいる、右京区山ノ内から京都市役所までみんな基地に占められているようなものではないか。沖縄の成長・発展に、とんでもない邪魔者であると実感する。バスで移動する間、行けどもいけども基地の中。これはもう、異常以外何物でもない。
 横田基地に司令部を置く米軍第5空軍に指揮下にある第18航空団のホームベース「チームカデナ」と呼ばれ、F15C/Dイーグル戦闘機部隊(第44飛行中隊、第67飛行中隊)44機や空中給油機、偵察機が配備されている。空軍兵員6,600人、軍属8,500人、基地従業員3,200人、民間の契約社員2,000人の約20,000人が配備されている。
 嘉手納基地の成り立ちは、1949年、日本軍が本土決戦の最後の砦として建設した、「中飛行場」を1945年上陸した米軍が制圧・修復し、日本本土襲撃基地として再建設したもの。沖縄を除く全国の米軍施設・区域では、約9割が国有地。沖縄県では、約2割が国有地で、約8割が県有地、市町村有地、民地。私有財産の没収を禁じた国際法に反し、銃剣とブルドーザーで強奪されたもの。
※米軍上陸地点読谷村へ 
 1945年4月1日、夜明け前の午前5時半。読谷・渡具知海岸に猛烈な艦砲射撃が開始された。約20分間で12センチ砲以上が44,825発、ロケット弾33,000発、迫撃砲22,500発が撃ち込まれ、午前8時半米軍が上陸。
 読谷村に上陸したのは、1.日本全土を攻撃する前線基地となりうる読谷飛行場(北飛行場)があったこと。2.攻撃を支えるために必要な物資の荷下ろしができる浜があったことーだった。
 一方、日本軍にとって沖縄は、本土決戦の準備のための「時間稼ぎ」の場とされた。
 読谷村民は沖縄戦で2947人が犠牲となり、その65%に当たる1933人が、米軍が上陸した4月から6月にかけてなくなっている。
 現在、上陸地点の砂辺馬場公園には「第二次世界大戦米軍上陸地点モニュメント」が設置されていた。
※米軍軍基地返還の経済効果2000億 北谷町  
 この日の昼食は、北谷町の米軍施設が返還された北谷町美浜地区の「ハンビータウン」。
1981年にハンビー飛行場(42.5ha)メイモスカラー射撃場(22.9ha)が返還された。町が21億円かけて跡地利用計画を立て、商業地域として発展している。広々とした道路が通り、商業施設や様々なお店が整然と並び、広場では、子どもたちのダンスチームがダンスを披露していた。イベント会場では「北谷の産業祭」が開催されていた。鉄骨や階段の様子から、軍用施設をそのまま活用していることを感じさせる雰囲気のお店もあり、基地返還された街だと感じさせられた。
北谷町の試算では91年から02年までの12年間で、経済波及効果は1726億円。基地だったころの固定資産税は357万円は2億8600万円と81倍位に。雇用創出は100人足らずから2000人を超えるに至るそうだ。
※普天間基地か嘉数高台へ 
 1945年の沖縄戦のさなか、米軍は宜野湾村の一部集落を強制接収し、住民が避難したり、収容所入れられている間に基地を建設。収容所から出てきた住民は長年住み慣れた土地を奪われ仕方なしに基地の周りに住みついた。住宅密集地にある「世界一危険な基地」と言われ、基地面積の9割が私有地で、現在も28,000人の地権者がいる。
 1995年の、少女暴行事件をきっかけに、全県で基地反対運動が沸き起こり宜野湾海浜公園で行われた「県民大会」には85000人が集まった。2004年8月13日(金)午後2時15分に米海兵隊所属CH-53D型ヘリコプターが、沖縄国際大学に墜落、爆発炎上するという大事故が発生。消火活動を終えた宜野湾市消防に対し、米軍は消火現場から立ち退かせ、大学構内が米軍によって一方的に占拠された。事故現場を訪れた大学学長や宜野湾市長の立ち入りも認めず、大学構内が米軍管轄・管理下に置かれた。
 2012年10月1日。山口県岩国基地から、沖縄県あげて配備に反対している垂直離着陸機MV22オスプレイ6機の配備が強行された。現在24期が配備されている。
 2017年2月7日に宜野湾市の緑ヶ丘保育園に米軍ヘリCH-53Eの部品が落下。50センチずれていたら大事故になっていた。12月13日には普天間第2小学校に、大型輸送ヘリのガラスの着いた7キロもの金属製の窓枠を落下させるという信じがたい事故が起きている。
 普天間基地のゲートから基地内を見学後、嘉数台へ。嘉数台の戦いは、4月8日から16日間にわたる、沖縄戦最大級の激戦であった。日本軍は低地に「反斜面陣地」を構築して米軍に劣る火力をカバーし、頑強に抵抗したため、嘉数は米軍からは「死の罠」「忌々しい丘」などと呼ばれた。
 嘉数戦では日本軍の戦死傷者は合わせて64,000人に上った。嘉数に投入された第62師団独立混成旅団には京都出身兵が多く(約3500名)、そのほとんどが故郷を見ずに嘉数にて戦死しているため、1964年4月29日に京都府出身沖縄戦没者の冥福と世界の恒久平和を祈念し“京都の塔”が建てられている。
※不屈館へ 
 沖縄の祖国復帰と平和な社会の実現を目指して命がけで闘った、瀬長亀次郎(元衆議院議員)が残した膨大な資料を中心に、沖縄の民衆の戦いを後世に伝えようと設立された資料館。沖縄の戦後史、特に米軍統治下の民衆の歩みが学べる場所。人間「瀬長亀次郎」に出会える場所。米軍占領下で、米軍に最も恐れられ、激しい迫害、弾圧を跳ね返し、那覇市長、立法院議員、沖縄人民党委員長、国政参加選挙で衆議院議員に。日本共産党副委員長、カメさんこと、瀬長亀次郎の不屈の戦いを学べる資料館。

(更新日:2019年12月03日)

市政報告№ 226号です。

NO,226指定都市行財政問題会派別懇談会の報告です。

(更新日:2019年11月27日)

日本平和大会パート2

日本平和大会in沖縄パート2

○辺野古基地建設阻止・普天間基地撤去―全国の連帯で勝利を勝ち取ろう 
※国益の大義の下で見捨てられた沖縄  
 2日目の特別企画、参加者の大半は沖縄県外から。地元の方から、オール沖縄の選挙での審判、県民投票の取り組みの報告があり、「現状は今に始まったことではない。明治政府により、1872年に琉球藩の設置に始まり、1879年の琉球処分で、軍隊300名余、警官160名余を率いて首里城に入り、城の明け渡しを布告。琉球国王、尚秦は首里城を退去、東京に連行された。1952年4月28日発行の、サンフランシスコ条約で、日本と切り離され、アメリカ軍は琉球政府を創設し軍の管理下に置いた。1972年、本土復帰し琉球政府は沖縄県となったが、米軍基地を残したままの本土復帰。サンフランシスコ講和条約により、沖縄は見棄てられた。その日を、安倍総理は主権回復の日だとの発言は許せない」と厳しく批判された。
 沖縄は国益という大義の下に見捨てられ、「裁判でも門前払い、すべてに忖度が働き、権力とお金(沖縄振興予算・交付金)で民心を分断されてきた」そうした中「ウチナンチューのアイデンティティーを守り育み、常に非暴力を貫いてきた」と話された。

※辺野古が完成しても普天間は返還されない  
 「辺野古が完成しても、米軍の前提条件が整わなければ、普天間基地は還らない」当時の稲田朋美防衛大臣は発言するなど、辺野古は普天間基地の大害基地ではない。普天間基地の滑走路は2,700メートルに対し辺野古基地の滑走路は1,800メートルしかなく、大型輸送機の離着陸ができない。大浦湾側に整備予定の係船機能付き護岸について、「軍港ではないか」と指摘されている。タンカー用の燃料桟橋も建設予定で、海と面していない普天間に比べ、特徴的な新機能となる。
 何が真実なのかが隠され、鳩山政権の登場の中で、「県外移設」の声が出され、「対案示せ」と、ここでも分断が。

 ※大浦湾は埋め立てをしていい場所なのか  
 アメリカの「ミッションブルー」というNGOが大浦湾を「希望の海」と認定している。
 世界で110ヶ所以上登録されている中、日本初の登録です!
世界的な海洋学者であるシルビア・アール博士が立ち上げたプロジェクトが、世界で最も重要な海域を
「ホープスポット」に認定し、“保護の網”をかけることを2009年から実施している。現在は世界で約
110カ所以上が認定され、辺野古・大浦湾一帯が日本で初めてこのリストに加わった。対象の範囲は、辺
野古・大浦湾を中心にした天仁屋から松田までの44.5平方キロメートルの海域。

 ※高さ制限を超える建物が   
 名護市辺野古での新基地建設を巡り、新基地が完成した場合に米軍が設定する「高さ制限」を超える建造物が周辺に358件あることが分かった。撤去や移設が必要になる場合もあり、費用は日本側が負担する。昨年末時点で、国から県や地元に建造物の数や内訳について説明はなく、地元住民からは国の姿勢を問題視する声が出ている。 
   高さ制限は、離着陸する航空機の安全のために空港周辺で定める。米軍の基準では、滑走路から2,286メートルの範囲内に高さ45.7メートル超の建物があってはならない。辺野古の場合、新基地の標高約9メートルを足した約55メートルとなる。

 ※軟弱地盤に活断層の存在で建設は不可能  
 最深90メートルの地盤改良ができる作業船は無く、世界でも例がない難工事。たとえ完成しても沈下し続け、不均一沈下になる。関空は、堅牢な地盤に建設したが4メートル沈下した。2つの活断層も存在するにも拘らず、「活断層ではない」と閣議決定。

 ※何故、辺野古なのか   
 船が接岸でき、海兵隊の訓練基地が揃い、日本政府が造ってくれる。辺野古が唯一というのはあと付け。
  東京から離れ、見えない、聞こえない、政治的リスクが少ない等々。

 ※沖縄県の辺野古裁判は何を訴えているか
   承認取り消し処分後に生じた、ないし明らかになった事由による「取消」処分
  ・「国土利用上適正かつ合理的」(1号要件)の欠如
    1、大浦湾側の軟弱地盤
    2、活断層の可能性
    3、米国統一基準の基地周辺の高さ制限(半径2286mで上空45,72m)
    4.統合計画での返還条件が満たされないと普天間飛行場は返還されないことが明らかになった事
  ・埋め立て工事全体の実施計画協議を行っていない事
  ・「災害防止」の欠如―軟弱地盤と活断層
  ・「環境保全」の欠如
    1.環境対策協議未了
    2.工事着手前のサンゴ移植未実施
    3.工事着手前の海藻(ウミボッス)移植未実施
    4.ジュゴンの事後調査の不十分
    5.施行順序の変更に伴う手続き未実施
    違法な国の関与取消訴訟
   ・国の機関である沖縄防衛局による審査請求適格(「固有の資格」の有無」
    埋立承認処分を受けた沖縄防衛局は、私人と同様の地位にあるのか、国「固有の資格」に元木菟地位にあるか。「固   有の資格」であれば沖縄防衛局に行政不服審査申立適格がなく、国土交通大臣が執行停止決定という地方公共団体への  違法な関与。
   公有水面埋立法は、国の時だけ「承認処分」とし、竣工後も何の処分もなく所有権を取得できる特別な立場。本事業の  性格からしても私人としてはなしえない。
   公有水面は国のものだと言いながら、今回は私人に成りすましている。行政解釈として矛盾すること。

   等々、沢山の論点で裁判に取り組んでおられる。裁判闘争においても国の言い分は、常に後付け法の支配が揺らいでい  る、異常な国だということが明らかに。そしてそのことを合理化するためにどんどん悪い方向に進んでいるのだと感じざ  るを得ない。これは沖縄だけの問題では決してない。

   日本平和大会2日目の報告です。裁判や法律解釈など、メモなどに基づいて報告しているため、正確でない事もあるか  もしれません。間違いがあれば、指摘してください。
   パート2は、3日目のオプションツアーの報告の予定でしたが、パート3まで続けます。

(更新日:2019年11月25日)

日本平和大会㏌沖縄

○沖縄の空は誰のもの 
 2019年11月8・9日の2日間の日程で、沖縄で開催された日本平和大会と、10日の京都代表団のオプションツアーに参加してきました。
 久しぶりの沖縄です。8日は、伊丹空港7時集合と言う事で、4時起き。嵐電はまだ動いていないので、阪急西院まで歩き、阪急、モノレールに乗り継ぎ少し早い目に大阪空港に到着しました。
 毎回、那覇空港に着陸する時、沖縄の空はアメリカのものだと実感する。数十キロのおよび低空飛行を続け那覇空港に降り立つ。本当に危険だ。高度300メートル以上は米軍の空域のため、民間機は低空飛行を強いられています。
 沖縄に降り立つと、暖かさで沖縄に来たと実感する。京都の最低気温は一桁なのに沖縄では最低気温が20度を超えています。
 まずは、貸し切りバスで「辺野古ゲート前座り込み連帯行動」へ。バスは、北海道や静岡県などの代表の方と一緒になり、バス中で自己紹介。それぞれの沖縄や平和への思いを熱く語り合いながら辺野古へと向いました。
皆さん、いろんな思いを語り、バスに乗られた地元のお世話の方も、場所・場所でマイクを挟みその場所の歴史や現状なども話していただき、辺野古につくまでみんなにマイクが回るのかなと心配しながらのバスでの時間でした。
○辺野古ゲート前座り込み連帯行動 
 辺野古ゲート前では、即位祝賀パレードが行われ、機動隊全員が東京に動員され、機動隊なしで土砂の搬入が出来ないとのことでした。埋め立て土砂は、量でいえば5年たってわずか1.5%にしかならず、搬入するダンプの台数も軟弱地盤が明らかとなり、1日150台と、昨年の1/3に。ダンプの荷台の土砂の量もスカスカの状態ということで、完成はいつになるのかわからないとのことでした。完成のめどもなく、工事は止められないとあきらめさせるためのアリバイ作りの土砂投入に毎月、5億も6億もの税金が使うのではなく、豪雨・台風被災者への支援をと仰っていました。

○開会集会
 午後6時半からは、豊見城市立中央公民館での平和大会開会集会。会場いっぱいの1,000人の参加者の熱気にあふれています。
 オープニングの歌声。米軍基地を作るより、首里城債権をとの呼びかけの後、玉置デニー沖縄県知事、山川仁豊見城市長、赤嶺政賢衆議院議員、伊波洋一・高良鉄美参議院議員、韓国からのゲストからの力強い連帯のあいさつを受けました。
 玉置デニー知事は、沖縄での平和大会開催に感謝しつつ、沖縄県民の心の拠り所で今年やっと全体が完成した首里城が焼失したことに触れ、たくさんの善意が寄せられたことに感謝し、再建のための直轄チームを立ち上げたことを報告されまし。
 県民投票の結果、辺野古の基地建設反対の明確で揺ぎ無いものであり、何よりも重く尊重し、建設を中止し、普天間基地の即時運用停止と対話こそ必要だと訴えられました。また、民主主義が問われている、日本国民全体の問題だと呼びかけられました。
 山川仁豊見城市長は、「祖父が沖縄の自民党を立ち上げた。弱い人の立場に立つのが政治の役割」だと自らの政治家の原点を語り、203年1月28日に、オスプレイ配備撤回と、普天間基地の閉鎖・撤去を求めた建白書を提出し、実現への尽力に感謝され、沖縄での平和大会開催の意義は深いとのべられました。
 韓国からのゲストも、非核化と平和協定を結び、軍事同盟尾でない東アジアの未来を作ろうと呼びかけられました。

○緑ヶ丘保育園チーム1207  
 「基地があるのが当たり前で、何の違和感もなかったが、保育園に米軍機の部品が落ち、体が震え、価値観が変わった。」と、初めて、したことがなかった活動を始めたと話されました。しかし、米軍が部品落下を認めず、誹謗中傷にさらされることとなったが、私たちが思っていた以上に全国から署名が届き勇気づけられたと報告されました。
  保育園上空は飛行ルートになっていないにもかかわらず、国と国との約束を守らない、米軍と日本政府を告発し、原因究明と飛行中止を求めたが、沖縄県以外は、日本政府も冷たく米軍よりの回答しか寄こさない実態を報告されました。
  騒音も飛行も増え、子どもたちは「怖い」と耳をふさぐ日々が続いている姿に、国民として情けない。私たちが日本の政府と米軍を動かさなければと、「子どもたちとの楽しい時間を犠牲にして、お母さんたちは頑張っている」と訴えられました。

○全国各地の実体と運動の交流 
 宮古島、石垣島、与那国島は安全で静かなところで、銃も軍用自動車も見たことがなかったのに、中国が危ないと、説明に応じず、住民の声も聞かず、基地が押し付け、軍用車両が100台以上、迷彩服で銃を持った自衛隊員が宮古島を壊そうとしているとの告発。
  東村高江ではヘリパッドは完成したがまだまだ闘いは続くと、米軍に持ち去られたテントを全国からの支援で再建し、頑張るとの決意。
  秋田のイージス・アショアの闘いでは、「知事も県民も知らない、閣議決定に怒り心頭」と訴え「なぜ、秋田が最適なのか」「グーグルアショアによる、地形データーの誤り」等を指摘。
  東京、日野市でも、横田基地にオスプレイが配備され、夜間・無灯火飛行が繰り返されて、「夜間無灯火訓練は文字通り適地攻撃訓練」「無灯火飛行は航空法違反」であるにもかかわらず、日米地位協定によって米軍には適用されない実態を告発されました。

○防衛大学生への酷いいじめの実態告発 
 防衛大学のいじめ人権侵害で闘っている被害者のお母さんの、訴えは宿舎生活で蔓延する陰湿ないじめで、戦前の軍隊から受け継がれている、暴力支配により人格が否定されるすさまじいものでした。裁判で人権侵害が蔓延していることが明らかになっているにも拘らず、国の責任を免罪する判決は、司法が独立しているのかと、怒りを禁じ得ませんでした。
 高校生平和ゼミナールに参加している高校生も、「戦争は嫌です」と新鮮な平和への想いを語りました。
○全国で行動を! 
 平和委員会事務局長の千坂純氏が主催者報告を行いました。
  民意を踏みにじって恥じない安倍政権の暴挙に対する、民主主義を守る闘いであり、戦争のための米軍基地建設のために環境と暮らしを破壊する暴挙に抗する、平和的生存権と憲法9条を守る闘いです。
  非核平和の北東アジアと核兵器のない世界を目指そうと呼びかけられました。
  「徴用工」問題は、植民地支配が生んだ深刻な人権侵害との反省に立って解決を図ることを求め、来年は被爆75年であり、現行・安保条約発効60年。安保条約を廃棄してこそ憲法が輝く日本を作ることが出来るを、国民的世論にしていこうと訴えられました。

 3日目は、京都平和委員会のオプションツアーは後日報告します。

(更新日:2019年11月15日)

市政報告№224号です。

NO,2249月決算市会閉会本会議で決算について討論に立ちました。

(更新日:2019年11月04日)

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