活動日誌

市政報告№195号です。

 今週は、21日から23日まで委員会出張です。そのあと24~25日は鹿児島で生活保護の研修会。早めに市政報告をつくり、印刷しました。原水爆禁止世界大会の報告と、地蔵盆、阿波踊りについて書きました。母の思い出は休みです。

(更新日:2018年08月19日)

原水爆禁止2018年世界大会!

 原爆投下から、73年目の世界大会は、昨年の国連会議で承認された、核兵器禁止条約の発効への決意と、南北・米朝首脳会談で合意された、朝鮮半島の非核化の動きなど、核兵器のない世界の実現に向けた激動の中で開催された。
 「国際会議宣言」は、「破滅的で非人道的結末をもたらす核兵器は、いかなる理由によっても、再び使用されてはならない。広島の地に集まった我々は、いまだ人類の生存にとって脅威である核兵器を一刻も早く、完全に廃絶するために行動すること」を訴えた。
 昨年、7月7日、国連会議が採択した核兵器禁止条約は、「核兵器のない世界」に向けた歴史的な一歩となった。
 核保有国は、「核抑止力」が世界の安全に不可欠だと、禁止条約を非難し、米トランプ政権は「核態勢見直し」で、核戦略の近代化を行い、ロシアのプーチン政権も、戦術核兵器の先制使用体制を強め、米ロの核軍拡競争の再燃は、「抑止力」が安全ではなく、危険をもたらすものであることを明白に示している。「核抑止力」論は、破たんし、核兵器国は世界から孤立していることが、鮮明となる大会だった。
 条約の採択に大きな役割を果たした、アイルランドの政府代表は、「政府代表と市民社会はともに、大志を持って取り組もう。互いの不信ではなく、信頼の上に成り立つ世界秩序の構築を」と呼びかけられた。オーストリアの政府代表は、「圧倒的多数の国々は、核兵器に頼らない良心的な決断をした。調印し批准する国は増え続け、順調に発効するだろう」と決意を語った。
●核兵器廃絶に背を向ける安倍政権
 広島と長崎の惨禍を通じて、核兵器の非人道性をどの国よりも理解し、核兵器廃絶の先頭に立つべきなのが日本政府。ところが、安倍首相は、広島市の平和記念式典のあいさつで「核軍縮の考え方の違いが顕在化している」と、「核の傘」にしがみつく姿勢をあらわにし、禁止条約にも、朝鮮半島の非核化に向けた動きにも触れない空疎なものだった。「あなたはいったいどこの国の総理なのか」と、世界大会で、日本共産党の小池晃書記局長が、痛烈に批判したのは当然だ。
 核兵器禁止条約に背を向け、米国の「核の傘」「抑止力」にしがみつく姿は、は、「橋渡し」どころか、核兵器国と非核兵器国の「分断」というべき姿だ。
 長崎県被災者協議会の田中重光会長は、「被爆者の苦しみも、願いもわからずに『唯一の被爆国』などと簡単に使わないでほしい」と厳しく批判した。
●非核平和の朝鮮半島とアジアー日本の役割
 アメリカ、韓国、中国、日本のパネリストが討論した、特別集会「非核平和の朝鮮半島とアジア―日本の役割」。朝鮮半島の非核化への動きの中で、韓国の市民運動と、そのもとで誕生した文政権の役割の大きさと、日本政府の落差を実感した。
 集会の途中で、23人の若い韓国代表が紹介された。「朝鮮半島は、敗戦国の植民地として分断された。朝鮮戦争は、単なる内戦ではなく、米ソの代理戦争となり、朝鮮戦争後、日帝協力者は親米勢力となり富を独占し、分断国家となった。分断がなかったら、日本の植民地支配を問い、その記録が残せたはず。日本の曖昧な謝罪ではなく、日本の正当な謝罪と反省は再び求められる。そのうえで、過去に縛られない、未来志向の関係に発展する」とのスピーチが心に響いた。
 長年にわたり、北の圧力を利用し、財閥の支配や平和や統一に対する政権への不満が、キャンドル・デモへと発展し、憲法に定めた権限を私物化したことに対する反発も、世代を超えたダイナミックな運動となり、朴槿恵を刑務所へ送り、文政権を誕生させた。「安倍政権も退陣すべきだ」と韓国代表が、日本政府を厳しく指摘した発言は重みがあった。日本でも、韓国を見習い、世代を超えたダイナミックな運動が必要だ。
●条約にサインする政府を!
 最終日のヒロシマデー集会は6000人。各国の市民運動の代表が、各国政府に禁止条約の批准求め、国際連帯で条約発効を目指す決意を表明。国内の、草の根の運動交流では、北海道の3人の高校生が「私たちの声で世界は変わる」「原爆の恐ろしさを発信し続ける」との決意に勇気をもらった。
 開会総会では、「総がかり実行委員会」の福山真劫さんが「分裂の時代から共闘の時代へと新しいステージに立っている」と呼びかけ、「辺野古新基地を造らせないオール沖縄会議」の代表も参加した。
 日本共産党の小池晃書記局長のあいさつに続き、自由党の小沢一郎代表、「沖縄の風」代表の糸数慶子参議院議員、無所属の岡田克也衆議院議員のメッセージが紹介された。今こそ国民共同で、新しいステージへ!
 今年の世界大会は京都からバス4台で、約200人の代表団。私は3号車の車長を仰せつかった。西右京と伏見、府北部の代表と滋賀県の7名の合計41人のバス。初参加の若い方も多く、少し不安もあったが、トラブルもなく無事に過ごせた。バスの中でも和気あいあいと盛り上げていただき、ありがとう!
 京都へ帰る、バスの中でも、初参加の青年たちが「73年間、未来につなぐ凄い思いを感じることができた、すごい大会」「職場や地域で、この思いを伝えたい」など、熱い思いを語り、決意を新たにすることができた世界大会だった。
ノーモア・ヒロシマ ノーモア・ナガサキ ノーモア・ヒバクシャ ノーモア・ウォー

(更新日:2018年08月11日)

Page 1 of 11