昨日夜、京都弁護士会館で関西学院大学の富田宏治教授講師の「核兵器禁止条約歴史的意義」の講演会に参加してきました。苦労して翻訳した第一次案から、がらりと変わり第二次案が出され、文書量は1.5倍に膨れ上がり、さらに第3次案は当初の倍の条約になっていた。中身も、核兵器の法的禁止=非合法化を先行させ、完全廃絶につなげるための条約。核兵器に係るほとんどすべての活動を第一条で明確に禁止し、当初案には無かった「使用の威嚇」の禁止は「抑止力」への明確な否定と禁止となった。
核兵器の全面廃絶に繋がる核兵器禁止条約と発展している。
国際社会では、民主的な社会をつくるための努力の中で、しっかりとした議論が行われ、当初の原案から全く姿を変える。一方、日本の国会は政府原案なまま、議論を深めず強行採決。
この条約の中心を担ったのは、女性だった。議長は、1949年に常備軍の廃止を規定した憲法を制定した、コスタリカのホワイト軍縮大使が就任。そして、日本が会議をボイコットした直後に、中満泉氏が国連軍縮担当上級代表(事務次長)に指名された。中満氏は「小学生の時に広島と長崎を訪問した日本人の私は、ほかの国連職員よりもさらに大きなモチベーションをもって軍縮に取り組めると思う」と語っている。
採択後、最後のスピーチは、じゃなだ在住の被爆者である節子サーローさん。
条約により核兵器は非合法化される。条約に参加せず、核兵器を持ち続けることはアウトロー。すなわち「ならず者」だ。
(更新日:2018年07月31日)