八鹿高校事件と八鹿高校生徒自治会 自由な学園の生徒たちの戦い

八鹿高校事件は私が大学入学間もないころでした。
八鹿高校では、職員会議も管理職主体ではなく職員主体に運営されていました。生徒の自治活動も「生徒会」ではなく「自治会」として運営され、高校では珍しく全学連加盟していました。
当時の「兵庫方式」で、各中学から各高校への進学者数が割り当てられ、八鹿高校には中学の上位者が進学していたそうです。エリート高校だったのかな。
 生徒と先生も対等な関係で「自由で明るい」高校で自治会活動も生徒中心。LHR(ロングタイムホームルーム)も、よその学校では教師主体だったのが、教師の関与は少なく生徒が主催。
 授業も教科書はあまり使わず、実践的、体験的教育が様々取り組まれています。
 教員と生徒の距離も近く、授業以外では対等。

 そんな八鹿高校に解同が襲い掛かったのが八鹿高校事件でした。
 校長、教頭が部落解放同盟の圧力に屈し、警察・県教委。八鹿町が解同の無法を容認する中、凄惨な事件が起こりました。
 事件前から解同が大量に八鹿高校に入り込み、1974年11月22日事件が起こりました。
 11月22日,集団登校後、各HRで担任が、授業を打ち切り、年休を取って教員は集団下校と生徒に伝えます。
 先生たちは解同によって路上から暴力的に連れ戻されたことを知った、生徒自身が自主的に判断し解同の無法を許さないと毅然と闘った記録です。
 「暴力反対!」「先生かえせ!」と声をあげ、警察と解同と正面対決!
 八鹿高校事件後も大阪でも解同の「糾弾会」がしばしば起こっていました。暴力的支配、排外主義は絶対許せません!

(更新日:2026年06月25日)