ありがとう!お父さん!

 11月13日23時50分に父が亡くなりました。1928年3月3日生まれの94歳と8カ月余りの人生でした。
 本当に子煩悩で親戚付き合い等、人とのかかわりを大切にする人でした。小中学生の頃は父の仕事の都合で吹田に住んでいましたが、愛車のスバル360で、家族5人でよく出かけていました。
 松原市の大堀には母屋があり親戚やいとこ、針中野には母の兄がいて、2人の私と同じ年と年上の女の子がいてよく遊びに行っていました。また羽曳野市古市には裁縫をしている叔母さん。私ら兄妹は「みよこ姉ちゃん」と呼んでいましたが、優しい人でした。
 デパートへもよく出かけていたことを思い出します。屋上の
遊園地で遊び大食堂での食事も楽しみの一つでした。
 公園や遊園地、夏は海水浴で民宿に泊まる。これも定番。父が勤める会社の保養所のある六甲山へも連れて行ってもらったり。
 たくさんの思い出を作ってくれました。
 手先の器用な人で、車のエンジンを分解したり、プラグの掃除やガソリンの濃度の調整、フロントガラスの交換、パンク修理、どこかにぶつければ板金工さながらに整形しパテを塗って塗装をし直したり。
 パンクをはじめ、ブレーキの調整や自転車の修理はお手の物でしたし、私のズボンの寸法直しもしていました。
子どものころは一緒にプラモデルを沢山作りました。
遺品を整理していると、陶芸作品や彫刻等沢山ありました。詩吟や民謡もやり、表彰状なども沢山見つかり、改めて「すごいなぁ~」と実感しました。
私は、京都で暮らし活動していましたので、高校卒業後はお盆と正月に、孫を連れて帰るくらいで少しでしたが、お盆と正月には孫やひ孫に囲まれにぎやかに過ごしていました。
「ジイジイ」「オオジイジイ」と孫やひ孫たちにも愛された幸せな人生だったと思います。
お通夜やお葬式にこれ荒れた方からも、父のお話を伺い地域の方からも愛されていたんだなぁ~と実感できました。
みなさんからのご丁寧なお悔やみにありがとうございました。

(更新日:2022年11月18日)